俺のおじいちゃんの事
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『forever feelin'』というurbのしょーた主催のセッションイベント、
ほろ酔い気分の夜を渋谷で過ごしてきた。帰りに渥美と近くの公園で
桜を見て少し話して帰ってきたところだ。時期は終わりだけど
明け方の桜はとても綺麗だった


かれこれ、俺が楽器を手に社会にでてからもう三年がたった。
遊びの先にあった仕事は明日の保証もままならない水商売でもあり、
たまに途方にくれたりもするけれどこうして音楽で楽しい夜を
過ごしていられる今をふと、とても幸せに感じたりする。



夕方、俺のおじいちゃんが息をひきとった、と連絡があった。


100歳がまじかだったおじいちゃんは、明治生まれの白髪の紳士で
ずっと海外諸国を飛び回って仕事をしていた、当時には珍しい国際派で
マッカーサーの通訳などをしていたこともある自慢の祖父だった。

彼は白いカーディガンをいつも着ていて、洋間の部屋のユリ椅子か
ソファでパイプをくわえながらいつも英書を読んでいる、かっこいい
おじいちゃんだった。昔の人なのに魚が苦手で、朝食もトースト
にバターとジャムをたくさん塗って食べ、紅茶を飲む。
俺はそんなおじいちゃんにひそかに憧れていて、大学で国際関係学を
専攻したのも、海外経験の豊富な祖父からの影響が大きかった。


「渉くんが大学を出たら海外の就職口なんていくらでも用意して
やるから英語は勉強しておけ」と得意げに言っていたおじいちゃんを
尻目に、俺は音楽の道を選んだ。彼は多少さみしかったと思う。

…それ以来生活が逆転したこともあって、祖父母の家には
ほとんど足を向けなくなっていた矢先のことだった。


こう書いていても今でも信じられないな。


…葬式は週末urbで浜松に行ってしまうので見届けることはできない
けれど俺はおじいちゃんとの少なくない思い出を胸に刻みながら
自分の選んだ道に誇りをもって精一杯演奏をしにいきたい。




一番の思い出は小学校の頃、俺が野球に熱をあげはじめとき、
それを喜んだおじいちゃんは、家に遊びにいくたびにいつもしきりに
キャッチボールをしたがって「渉くん公園にいくか」と声をかけてくれた。
それがうれしかった。いつもおじいちゃんはグローブのかわりに革の手袋を
はめてキャッチボールしていて、手が赤く腫れるまで一緒に
キャッチボールしてくれたことそれが一番の思い出だ。


おじいちゃん、たくさん生きてくれてありがとう!
挨拶は、また、いつかどこかでさせてください。



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追記 22:00



さきほど帰宅途中に、祖父母の家に立ち寄ってきた。
生き別れたおばあちゃんはさみしそうだったけれど、「大往生だったのよ」
と誇らしげに俺に言った。言葉が出なくて、おばあちゃんまた会いに来るよと返した

寂しいけれど、最後におじいちゃんの顔がみれて良かった。



・・・私事を公の場で書いてしまったけど、たくさんの方から
暖かいコメントが残っていたのがとてもうれしいです。・・・ありがとう!!
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by watarumble | 2006-04-07 07:06 | Diary
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