昼間、暇な時間があって、散歩がてらに生まれ育った白金を歩いてみた。
白金はセレブの街とマスコミに紹介され、随分変わったように思う。
というか、俺の育った頃とは毛色が若干違っていた。
もはや白金に住むということは、ファッションとステータスのアイコン。
オープンテラスのカフェで、昼間からばっちりメイクアップして世間話に興じるマダム達
買い物袋を小脇にチャリンコこいでる女性まで、よそ行きの格好だったりして。
生活感を出したくないのか、または出せないのか、それらの光景が
俺には多少奇異なものに映ってしまった。
そんな中、見覚えのある光景もそこかしこに残っていた。
俺が道端で一円玉を拾って届けた交番や、少年野球の練習によく
使っていた公園などを目の当たりにし、忘れていた思い出が湯水のように
湧き上がってきて、しばらく立ち止まってノスタルジーに溺れた。
住んでいた建物は取り壊しが決まったらしく、鬱蒼と
した空気のなかにひっそり佇んでいた。
住む人が移り変わり、町の風景は変遷していく。
あたりまえのことだが、時の流れは全てを変えていくのだ。
感慨深かった。
寂しいという感情とは違う。それは過去に生きる人間の傲慢だ。
自分自身もあの頃とは違う。環境の変化とともに成長して今ここにいる。
ノスタルジーや郷愁は、悪魔のように自分を過去へと誘うけれど
それに飲まれてしまうことは、現実から逃げることだ。
生まれてから12年の歳月を過ごした街。
仲のよかった友人もここから引越して以来、ほとんど会っていない。
あの頃のみんなにはもう会えないけど、今のみんなとまた再会したいな、と思った。